しばらく稽古日誌の更新が出来ませんでした。
もちろん稽古はしていたのですが、忙しくて、しかも体調も崩しがちで。
でも今日は今年の稽古納めをしましたので、頑張って更新するぞと誓ったのです。
フランスではクリスマスから長期休暇をとる人が多いのです。正月一日はお休み。二日、三日はたまたま土日ですので、長い人は25日から休んで1月4日まで出てこない。
これは日本のお正月と同じくらいのイメージでしょうか。
でも、うっかりすると、12月18日からお休みの会社もあるので、長いですね。
夏は夏で、だいたい3週間くらいのバケーションがあるので、まるで小学生のようにお休みがあります。私は夏も半日しかお休みがとれず、年末も31日まで働くので、正月は3連休のみ。やれやれ。
心に誓った稽古日誌は愚痴を書くためにあるのではなく、今日は相棒が一人しかいなかったと書きたかっただけです。
今日はこの相棒にお願いして、詰合と大小詰の稽古。相棒は空手の経験者ですが、もちろん抜刀術は初めて。無理やり木刀を持たせ、抜き方を教えて、さぁ稽古!
…なかなかムズカシイです。
相手には定寸の木刀で、私は大石神影流の長木刀で相手をしたのですけれど、うまく捌けない。何回か繰り返しますが、その度に切り込んでくる場所が違うし、タイミングも違うしで、焦りました。当初思っていた効果とは異なりますが、よい稽古が出来ました。
素人はどんな動きをするか分からないから、意表を突かれるのですね。
そういえば、何かの本で読んだのですが、新陰流創始者の上泉伊勢守はこの素人のどこを打ってくるか分からない剣が怖いので、自分は構えを取らず、相手に好きなように打ち込ませておいて、相手の動きに合わせて勝を得る剣法を編み出したとありました。
活人剣というのだそうです。ふつう活人剣というと、相手を殺さず生かす剣と思われていますが、元来はもっとエゲツナイもので、相手の思うように動かしておいて(活人)その裏をとって勝つ剣のことをいうのですね。一旦動き始めたらその動きを変えるのはムズカシイですから、素人ならなおのこと。かくして、素人のまぐれ勝ちを許さない、エゲツナイ剣法が興った…ようです。
孫弟子にあたる柳生宗矩という人も書いています。
「兵法の習い色々これ有りといへども別に用いず、
一 打ち出すところを勝つか
一 打ち出さぬ者には仕掛けて打つ所を勝つか
一 それを知る者には、わが打ちを見せてそれを打つ所を勝つか
この三つなり」
柳生宗矩というと「兵法家伝書」が有名ですが、上述の文章はまだ若いときに書かれた「兵法截相心持之事」(だったと思います。手元に資料がないから正しい書名が分からない。ああ日本に帰りたい!)という本の冒頭です。
「兵法家伝書」は難しくてよく分からないのですが、「兵法截相心持之事」は分かりやすいですね。私、柳生宗矩という人が好きなのですが、この文章を読んだのがきっかけでした。
話が逸れました。要するに上泉伊勢守も孫弟子の柳生宗矩も活人剣を説いている訳です。相手の動きに応じて勝つ活人剣です。
しかるに、私の本日の稽古では、活人剣などほど遠い、素人に意表を突かれまくりの状態でした。反省です。こういう稽古も必要ですね。
さて、相棒には空手の稽古に戻ってもらって、私は大石神影流と英信流の稽古。
これまでのように「ゆっくり」ばかりにとらわれず、相手を想定しての稽古を心掛けました。そんなの当たり前のことですが、不器用な私には手順というものがありまして。
武術に限らず、人と人との関わりでは独りよがりではいけないということを、その場その場で適切な働きをしなければならないということを学んでいる訳なのです。
これは礼法に端的に表れていることで、師匠や目上の方への礼と、友や家族との礼、見知らぬ人への礼など、相手や場所に応じてふさわしい礼をとることが武術であるのです。
武術というのは広い世界です。
横雲、稲妻を抜いて本年の稽古納め。
激動の一年でした。