ずいぶん冷え込んできました。
ずっと10度を上回る気温でしたが、最近は7度を下回ります。
うっかりすると4度以下もあります。それでも平年に比べて暖かいらしい。
昨年は氷点下が当たり前だったそうですから、やっぱり暖冬なんですね。
もともと面している海が北海ですので、名前を聞くだけで、寒くなってしまいますが、
そんな中に道場があるので、中は暖か。24時間暖房がついています。
ですので、汗をかきます。
一月は、元旦に初稽古をして、今日までで道場では4回稽古をしています。
それなのに「稽古はじめ」とは詐称ですが、稽古日誌をUPするのは初めてなので気にしないことにします。
飽きもせずに、大森流、英信流表、太刀打、詰合、大小詰、三學圓之太刀、陽之裏、陽之表に取り組みます。
キックボクサーやら空手家をつかまえて相手をさせるのも、最近は彼らも慣れてきて気軽に応じてくれるようになりました。どう振ればいいのか、坐り方はこれでいいのかなど、少しずつ本気になってくれているので、しめしめと思っています。知らないうちに引き擦り込んでしまおう。
それでもやっぱり本格の稽古は一人でしなければなりません。
一人で稽古を重ねて、師匠や兄弟子に見てもらう。これが稽古の在り方です。
とくに私のように遠来の弟子はそんなふうにしか上達する手段がありません。
遠来すぎて、なかなか手解きしてもらえないのが難点ですが。
「てほどき」とはいい言葉です。師匠に私の悪い「手」(技)をほどいてもらう。あるいは「ほどき方」を教えていただく。それを持ち帰って、さらに「ほどける」ように努力する。
師匠の前で、そのほどき具合を点検してもらって、次のレベルに至る。
学びの一つの在り方だと思います。
もっとも不肖の弟子は、なかなか次のレベルにいけないんですけど。
今年一年、どれだけ自分をほどくことが出来るか。
「四十にして惑わず」という言葉がありますが、孔子在世時に「惑」という字は存在しなかったそうです。「或」なら存在していて同音だったそうですから、こちらが本来の意味になるかもしれないという説を知りました。「四十にして或(くぎ)らず」経験を積んで自分を限定する年齢になっても、まだまだ可能性を広げることを怠ってはいけないという意味になります。こっちのほうが、私のように惑い多き四十男(ずいぶん過ぎてますけど)には有りがたい。
或らず、ほどいていきます。頑張っていきましょう。
稽古日誌にはなりませんでしたが、新年の決意表明ということで。