ずいぶん久しぶりの更新になりました。
稽古は(ほぼ)毎日しているのですが、稽古のたびに日誌を書いていると、単なる日記になってしまうので、稽古日誌は稽古場へ行ったときに書くと決心したのです。(怠けるための言い訳ではありません)
Week Dayは仕事に追われていて稽古場を借りている時間に稽古にいけないので、土曜に行こうとするのですが、仕事が入ったり、日本食材を買い出しにベルギーまで(!)行ったり、気晴らしにドイツ(!!)に行ったり、仕事で疲れてぼんやりしていたりして、なかなかに忙しいので、久しぶりの稽古場での稽古になったわけです。
写真はドイツで。ライン河とラインタワーをバックにしています。本来的に出不精だけれど、歴史好きな私が古代ローマ軍がゲルマン民族と攻防を展開したライン河なんていうところに立とうとは、悲しいような嬉しいような…。
ドイツはデュッセルドルフという街に行きました。温泉と日本食を求めての訪問です。
デュッセルドルフには6000人も日本人が住んでいるということで、日本食レストランがたくさんあります。折角のドイツですが、ソーセージでもビールでもなく、おろしポン酢トンカツ定食と納豆とほうじ茶です。旨かった。実に幸せでした。
温泉はスパという奴ですが、これがまた何というか。
…稽古日誌が始められないので、スパ談義?は後日に回します。あしからず。
何だか少し人数が増えていました。空手やキックボクシングを学びたい人がすこぅし入ったようです。
私は黙々と抜刀術と剣術の稽古。
一通りの稽古のあと、英信流奥の稽古に取り組みます。
英信流奥は最後に学ぶ形ですから、私はまだ深く学んではいません。
師匠の前でも、大森流や英信流表は懸命に取り組んでご指導を戴いていますが、奥は講習会で学んだことがあるきりです。3月下旬に本部の講習会が計画されていると聞いたので、何とか帰国して参加したいと考えており、予習すべく取り組み始めたわけなんです。
英信流奥はそれまでの修行の総決算。いかに自由に動けるかを問われる形です。一本目の向拂からムズカシイ。表の形一本目の横雲と同じ想定ですが、間合が遠かったために抜打ちの一撃目が相手に届かないので、すぐさま切り返して斬撃する。見た目では連続技なのですが、最初から連続技を出そうとして連続するのではなく、届かないと咄嗟の判断から連続技になるという本来の連続技たるべく修行をするわけです。
剣道経験者である私には、このあたりの事情はよく分かります。
剣道でも小手面などの連続技があります。技として習うので、ひたすら繰り返します。習熟が不十分な時期は、小手が極まっているのに、体が勝手に動いて面を打ち込むという連続技(しかも面は極まらないという悲しいこともある)になってしまいます。本来なら極まった小手で留めておくべきなのですが、先に述べたように連続技を出そうと決めてから動いているために、体を止めることが出来ないんですね。
ですが、なおも学びを止めずに技を磨くと小手を打ったあとに不十分と思う間もなく、面を打ち込むことが出来るようになります。心と体の自由度が上がっているのです。上手になるほど、この「不十分と思う間」が短くなっていき、あたかも元々連続技を出そうとしていたかのような動きになる…はずです。
でも悲しいのはその次なんです。小手が外れたから面に続けた、でもこの面も外れたという場合、小手面の連続技しか習得していなければ、それで体は止まってしまいます。本来の連続技を修行しておれば、小手面、あダメだったじゃもう一本、と次々に動きが止まらないようになるのが本当です。
大事なのは、連続技という形を学ぶ際に、連続して技を繰り出せる心と体の準備が出来ているかを問うことなのです。
合気道の動画で、老齢の達人をつかまえようとする複数の若者を相手に、次々と技を繰り出して決して捕まることがなく、逆に全員を取り押さえるなんていうものを見ましたが、これこそまさに連続技の至極だと思います。
連続技を学ぶのではなく、連続して技が出せる心と体を学ぶ。その結果、自由な心と体の操法を得て、合気道の達人のような動きが出来るようになる。
残念ながら、我が抜刀術では合気道のように実践で稽古すると、怪我人が続出するので出来ません。なので一層、注意が必要なのです。単なる”踊り”にならないように。
で、これが非常にムズカシイわけなんです。ともかく、学びあるのみ!!